【専門職の兵法】「リスクはプロ、手柄は組織」というバグ ➔ 日本企業がスペシャリストを絶滅させる構造論

1. 導入:トラブルが「起きない」という、プロの悲劇

世の中には、派手に売上を立てる営業職の陰で、「会社に致命傷(数億円の損害、法的ペナルティ、知財流出)」が発生するのを水際で防いでいる専門職(スペシャリスト)が存在する。法務、知財、税務、あるいはインフラ系のエンジニア。

彼らの最高の成果とは何か? それは「何も起きないこと」である。

しかし、この「無事これ名馬」というプロの仕事こそが、日本企業のバグった評価システムにおいては最大の悲劇を招く構造になっている。

そもそも、私は、昔からサラリーマンという生き方そのものに強い違和感があった。組織の理不尽なマイルールに無理やり自分を適応させようとすればするほど、「新しい組織に馴染まない」と烙印を押される。実務を理解しようともしない人間に自分の輪郭を削られ、都合のいい歯車になることを求められる。その空間は、私にとって完全に「理解不能」だった。

だが、今ならはっきりとわかる。おかしかったのは私の脳内ではなく、平穏無事を「成果ゼロ」と見なす、組織の評価システム(ゲーム)のほうだったのだ。

2. 「専門知の不可視化」とマッチポンプ野郎の台頭

専門職が夜も寝ずにリスクの芽を摘み、契約書の文言をミリ単位で調整してトラブルを未然に防いだ結果、社内は平穏無事。すると、実務を何も理解していない上層部やブチョーは、こう平然と勘違いする。

「トラブルが起きなかったのは、最初から何も問題がなかったからだ(=あいつは何も仕事をしていない)」と。

「そんなに簡単だと思うなら、お前がその席に座って、その大物相手に直接ロジックを組み立ててみろ」――喉元まで出かかったこの言葉を、私は何度飲み込んできただろうか。

さらに最悪なのは、この「何も起きていない=成果ゼロ」という不条理な評価システムのせいで、組織に致命的な歪みが生まれることだ。真面目に平穏を保つのが馬鹿馬鹿しくなった人間が、あえて派手な「スタンドプレー(マッチポンプ)」に走るようになる。

本当に有能なプロが水面下で処理していれば起きなかったはずのボヤ騒ぎを、あえて発生させる。そして、火の手が上がってから「大変です!私が交渉して解決してきました!」とドヤ顔でアピールする。実務を知らない上層部は「おお、あいつが修羅場を救ってくれた!」と大絶賛してボーナスを出す。

これこそが、日本企業が専門職の職人魂をへし折り、無能な自作自演ヒーローばかりを量産していく終わりの始まり(システムのバグ)である。

3. 期待値マイナスのクソゲーを最速で「損切り」せよ

投資家の視点で「大企業の専門業務」というポジションを査定すると、その過酷な非対称性(アンバランス)に眩暈がする。

  • リターン(上限): 完璧にこなしても「何も起きていない(成果ゼロ)」と見なされ、給与は現状維持。
  • リスク(下限): 不可抗力のトラブルが一度でも起きれば、「見落とした専門職の責任」として数億円規模の減点が無限大。

明らかに人事評価基準のバグなのだが、これが修正されることは決してない。なぜなら、組織の構造上、最前線で盾を構える専門職には、制度を書き換えるための「社内権力」がないことが多いからだ。発言権を握るのは、実務を知らない純粋な管理屋や、売上を立てるアクセル部門のみ。彼らにとって専門職は「都合のいい弾除け(パーツ)」に過ぎず、その理不尽な評価システムは、彼らが心地よく組織を統治するために都合よく運用され続ける。

リターンがガチガチに限定されているのに、リスクだけは無限大。これほど期待値がマイナスで、投資効率の悪いゲーム(銘柄)は他にない。気づいた時点で、この目立たない(減点方式の)ゲームからは早めに去る(損切りする)のが正解だ。

もし、日本企業がかつてのように「定年まで現在の待遇のまま席を置いてくれる(逃げ切りを保証してくれる)」という仕様だったなら、このクソゲーに付き合うのもそこまで損ではなかった。

割に合わないリスクを差し引いても、「終身雇用」という配当が大きかったからだ。世間体もあるからこそ、私も60歳まで働けそうなメーカーを20年前に選んだ。ルールが終身雇用だった時代は、その選択は100%正解だった。

かつての年功序列・定期昇給が機能していた時代であれば、たとえその時点で理不尽な低評価を食らおうが、「長くしがみついていれば、将来的には定期昇給で元が取れる」という計算が成り立った。泥水をすするガマンにも、投資としてのリターン(回収)が約束されていたのだ。しかし、現代の「成果主義」というスローガンの下で運用されている人事制度において、その前提は完全に崩壊した。一度つけられた「現状維持(低評価)」は、将来的に回収されることのない、ただの「生涯賃金の永久欠損」で終わる。耐えたところで、1ミリも元は取れない。

令和になり、時代は変わった。「45歳定年制」や「黒字リストラ」という名の、会社側による一方的な仕様変更(ルールの改悪)が平然と行われる現在、もはやこのゲームに参加する、即ち、ボロ株をホールドし続ける理由は1ミリもない。

ここで多くの人は「じゃあ、45歳までに生涯賃金(3億円)を給与で稼ぎ切らなきゃいけないのか!」と絶望することになる。だが、普通に雇われて約22年間で3億円を稼ぐには、額面で毎年平均1,400万円、手取りベースなら年収2,000万〜3,000万円クラスの外資系金融や一握りの天才起業家の椅子に座り続けなければならない。日本の伝統的企業のバグった給与テーブルの上にいる限り、それは物理的に不可能な「無理ゲー」なのだ。

私自身、早急に「構造のバグ(ゲームのルールの改悪)」に気づき行動していれば、現時点で既にFIRE(Financial Independence, Retire Early)を達成していただろう。気づくのに数年という「悟りのコスト」はかかったが、今からでもポートフォリオを組み替える(亡命する)のに遅過ぎるということはない。

4. 結論:「45歳定年」をハックして、大手を振ってプラプラしよう

45歳定年という社会規範の変容は、一見すると労働者への裏切りであり、絶望的な社会不安の増大に見える。

しかし、視点を冷徹にひっくり返せば、これは「日本人全体が『定年まで滅私奉公しなければならない』という過酷な労働の呪縛から、社会システムによって合法的に解放されたという福音」でもあるのだ。そう考えると、これほどポジティブなパラダイムシフトはない。「あ、じゃあもう真面目に会社に人生捧げるのや~めた!」と、堂々と労働を忌避する免罪符が配られたのと同義だ。

45歳定年が一般化すれば、40代半ばで平日の昼間からプラプラしていても、周囲は「あ、あの人も黒字リストラで亡命したスマートなクチだな」と勝手に納得してくれる。かつて早期リタイアの最大の障壁だった「世間体というサンクコスト」すら、社会システムが帳消しにしてくれる。

いや、もっとリアルに言おう。 資産形成に成功したスマートな亡命者だろうが、そうでなかろうが、「会社に席がない(45歳定年)」のだから、お金があろうがなかろうが、平日の昼間からストリートをプラプラするしかないのがこれからの時代の初期設定(デフォルト)なのだ。席を奪っておいて「うろつくのは不謹慎だ」などという理屈は通らない。

もちろん、家族や子どもがいる人にとっては、このゲームルールの変更は死活問題だ。子どもが最も金を喰う高校・大学のタイミングで、親が45歳定年を迎えるという過酷なシミュレーション。もし、今の時代に子どもを持って真っ当に生きていきたいと願うなら、サラリーマンというボロ株に依存するのはあまりにも危険すぎる。それこそ、胴元に都合の良いゲームルールを捨て、「起業(=自分のインフラ構築)」へと舵を切るのが勝ち筋、これが令和の人生の選択のリアルなのだ。

違ってくるのは、そのプラプラしている本人の「胃の痛み(精神的余裕)」だけである。

どうせ強制的にプラプラさせられる時代が来るのなら、お金がなくて胃を痛めながら歩くのではなく、自分の要塞(メディア)と投資マシーン(Python)を裏で回しながら、スマートに、優雅にプラプラしようではないか。

45歳までに生涯賃金を稼ぎ切る必要などない。45歳までに、「会社がなくなっても、自分の要塞と投資マシーンが勝手にお金を回してくれるシステム」を完成させておけば、少なくともゲームオーバーは避けられる。

組織から求められる「標準(40%の惰性)」を意識し、トラブルが起きない最低限の業務だけを回して定時でサクッと帰る。そして、残り60%のエネルギーを集中し、全て自分にリターンが返ってくる「個人インフラ」を静かに拡張していく。バグったゲームを冷笑しながら、大手を振って平日のストリートを歩く最高の脱出計画。そのための要塞は、すでに目の前に組み上がっている。胴元になるのは我々なのだ。

【バグったゲームから亡命せよ。我々のインフラ構築の第一歩】